初候
春装もまといし風の召すがまま
行雲流水花も移ろい 淨至
郊外の田園地帯で菜の花を見つける 春はそこまで来ているのかと思わずにいられない
これは誠に嬉しいことではある 同時に花の命は短くてで始まるの詩があるが
時節の移ろいとともに 菜の花も散り次の花が咲き出すことは自然の理である
まさに春の装いも夏への装いの始まりであり 自然の摂理では これに逆らうことはできない
仏法の教えに紹介されている 行雲流水 という漢詩がある
直訳すれば 雲は行き水は流れる と読む
何でも古代中国の偉い哲学者の唱えた漢詩で これを仏法に取りいれたらしい
これを深読みすると 雲は風の吹かれるままに行き 水も高い所から低い所へ流れる
これに逆らうことはない 人間も自分の欲望・不満等の煩悩を捨て素直に生きれば
幸福な人生を送れるではないか という問いかけである
そして花も素直に移ろっているから 美しいのである
ちょっと気取った短歌なってしまった 恥ずかしや

ゆらゆらと雨水の風の榛の木の
まさか花とは思わざるなり 淨至
公園の隅に変な木を見つける 写真の通りなんかの実に見える
撮影して帰って図鑑で調べると 榛の木(はんのき)という名と分かる
ところがウコギの仲間らしいが これが花と知り ビックリである
風になびきながらゆれている 細長い房のようなものが雄花であり
隣に見える焦げ茶色の丸い実が雌花と知りまたビックリ
それも 多くの花が集まって一つの穂を形成しているとか
まことに奇妙な花である
池とか河とか 水辺の近くに2月から3月にかけて咲くらしい
和歌では【ハリの木】と詠まれていて 昔から親しまれていたようだ

ものの芽の犬が気にする香りかな 淨至
今日は早春の晴れたよい天気 気温14度と かなり暖かい日よりであった
風も弱く もう雪なんて考えられない暖かさに誘われて公園を歩く
公園の地下には様々な草花の芽が いまかいまかと芽を出す機会を待っているのだろう
芝生を気持ちよく歩いていると 犬を二頭連れて散歩している老人がいた
ところが犬はなんかの匂いに誘われるように 立ち止まりながらまともに歩こうとしない
立ち去ったあとに行ってみると 芝生の所々に青い花を見つける
直径は小指の頭より小さいが 確かにイヌフグリである
早春に咲き始める花ではあるが こんなに小さくても匂いがあるのだろうか
犬の嗅覚は人間の十万倍の能力があると聞いたことがあるから 犬にとっては気になるのかも
そう言えば イヌフグリとは漢字で書けば【犬陰嚢】と表すそうだ
つまり犬の股間の一物と言う意味になる なんとも花にとってはありがた迷惑な名前である
犬もそれが分かっていて 同情して気になるのだろうかな

豆の数ただ食わぬとも春は立つ
淋しさばかり齢のままに 淨至
今日は立春 暦の上とはいえ待ちに待った春である
旧暦ではこの日が元旦となっていた 旧正月である
中国では春節として お祭り騒ぎをするらしいが
昨夜の節分の豆まきでは 年の数の豆を食えぬままであった
食えないのではなく 食う気になれないのが本音ではあるが
年々豆の数が増えていくのは 気にならないが
これを食べると自分自身がそれ相応の老人であると認めたことになり
年以上に老いぼれていくようで これにはちょっと抵抗がある
それでも立春は来てしまった 淋しさばかりが募るだけである
そんな心情を短歌にしたが これも齢(よわい)のせいかも
河川敷の日当たりいい場所に 早々とタンポポを見つける
こんなに早く咲くのは関西タンポポくらいだろう
やはり 寒さの中でも春の鼓動は確実に強くなっているようだ
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